「−ねぇ、本当に今年は帰ってこないの?」
 電話越し。ここ最近、母は最後に必ずこう聞く。
「−だからね、バイトが忙しいから、無理」
何度も、いったしょ。
「そー。まぁ、元気でね」
 そおいって、電話は切れた。
 手に収まる携帯電話をおろして、ほぉっと胸を下ろす。今はまだ、帰ろうという気が起きなかった。
 新しい街。新しい友人。
 高校を出て上京して、初めての都会。
 それが別段魅力にあふれているというわけではない―今までの世界の中に満ち溢れていた光のようなものが感じられないような瞬間もあるし、新しい喜びに出会えるときもある。
 そして、現実はシビアである―…。
 実際、バイトしなければ、一人暮らし一年目の生活には、潤いが足りない―の、だ。
というわけで、バイトの帰り道。これから、電車に乗る。バイト先から駅までが遠いので、今日はたまたま実家に電話した。
「−…一番線…電車がまいります―…」
 電車が大きな音を立ててホームへと入ってきた。夜の中でも光満ち溢れるその空間の中、席ががら空きの最終各駅停車に乗り込んだ。

 まどろみながら走る電車はかたかたとゆれて、お気に入りのおんぼろのMDプレーヤーが幾度も音を飛ばした。
 流れる景色の中に、時折きらめく外明かりや家―<街>の明かり。
 高校のときにこうして部活帰りに汗だくになって帰った道のりを思い出す。
 あの頃と変わらない―ように見える、明かり。
 この間、父から手紙が来た。
 いつも電話で済ます様な用事。なにかくすぐったいような、気恥ずかしいような―…
 初めて受取った父からの手紙は―彼に似つかわしい、厳格な文字でつづられていて、そしてかすかに家の匂いがした。
 こうして目を閉じると、の甲高く鳴り響くその音が子守唄のように聞こえたあの頃に引き戻される。
 夜の蛍―…耳の中に残る友人達の声―…家族の―…居間の居心地の良さや。

 がたん、と大きな音を立てて電車が揺れた。
 そして現実に引き戻される。

 気が付けば、本当にねいっていたのだろう、3駅はゆうに過ぎていた。
 人気のまばらだった車両は―自分と―…
 ちょっとドキッとした自分がいた。
 老人が、すぐ近くの向かい側の席でいとおしむような目でこちらを見つめていたことに気が付いたからだ。
 長く伸びたひげが愛嬌を誘う、スーツを品よく着こなした老人だった。
 この車両で二人きり。そして、一瞬目が合ってしまった―…つい、言葉が口走ってしまうものでしょう…。
「こんばんは」
 片田舎の誰もが知り合いのような挨拶は、長い生活の中で培われたものだった。
「こんばんは」
 老人も、柔らかな微笑を返してきた。
「あなたが―気持ちよさそうに眠っているので、乗り過ごしていたらどうしようかと思いましたよ」
「ありがとうございます―でも、最終駅まで行くので」
 一瞬、声がこわばるのが分かる。
 ここに来てから、覚えて行ったこと。
 他人を信用しないこと。
 そう簡単に、他人に接しないこと。
 その生活の中に身をおいていたから、この今の状況をどうきりぬけようかな、などとかんがえてしまっていた…
「そうですか。それはよかった。私も最後まで乗り合わせるのですがね」
 そう老人に言われ、その和む笑顔に―…警戒する必要があったというのか。
 馬鹿だな、とちょっと苦笑いをすれば、穏やかな流れが身にかえってきた。田舎の隅の生活のように。夢の続きかと、思った。

「そうですか、わざわざこんな遠くまで絵を習いに―…本当に絵が好きなんですね」
 老人はどうやら少し耳がとおいいと言うことだったので、彼の傍らに私は移動して、まるで初めてあった頃に友人達にしたような話をした。
 たとえばどこの出身だとか、どうして地元を離れてこちらにきたかとか、本当にどうでもいいような話ばかりだった。
「けれど今は夏休みでしょう。実家には帰らないのですか?」_
「―…今は―…まだ、帰りません。今行ったら、甘えてしまうような気がして」
「―両親や家族の方々は喜ばれるでしょう」
「ええ―そうですね。実際に、帰って来いとも言うんです。まだ、こちらでひとり立ちしていないようではいけないとおもって。」
「―…何も甘えることが悪いというわけではありますまい―…」
 はっとした私の目を、老人が捕らえた。白くなり、年がたつにつれてだんだんと人の目は細くなっていくのだろうけれど―はっきりとした、大きな瞳をしていた。
 まるで、少年を思わせるような若さ。
 ―…心を見透かされているような気がした。
 帰らないというのを、甘えてしまうという言い訳にしてしまうのは、帰るのが怖いからだと、どうしていえただろう。
 一区切りの空間の中に凝縮されて埋め尽くされていたと思われた絆。甘くやわらかい、外界から隔離された世界。
 一度卵の殻から出て手に入れてきた知識や感覚といったものがその中におさまりきらずに、取り残されたような、置いてきてしまったような疎外感を味わうことを―。
 恐れていたとは、どうしていえただろうか。

『いつでも帰っておいで』


「私も、今から実の娘の家に行くのです―もう、一年も連絡はとっていなかったのですがね。今日も、連絡をしていないのです」
「へぇ―突然行って、大丈夫なんですか?」
 老人はふと窓の外に流れた山の明かりを認めた―ようだった。それしか、一秒遅れて外をみた私には分からなかった。
「これは、行事のようなものです」
 音信普通の家に突然行くことのなにが行事と言うのだろうか、と思ったが、あえて突っ込みはしない。
「恵まれていることに、受けいられることを分かっていますから」
 視線を戻して、更に瞳が細められた―

『―…お待たせいたしました。まもなく電車は終駅に到着いたします―…』
 アナウンスがなった。やけに淋しい車両の中に、人心地を感じさせる放送を通しているが生身の声が。
「さて、行きましょうか。お世話になりましたね」
 そして、手が差し出された。それを、私は握り返す。
 豆が出来て、農家の人のような手だった。豆の部分がかすれた。
 電車はゆっくりと速度を落とす。電車の振動音がやがて心臓の呼吸音に重なり、白い病室で静かに永遠の眠りにつくように、やがて呼吸は完全に停止した。
 
 一歩先を歩いて。

 ―人波が押し寄せ、つぶされそうになる―それでも、いつもの比ではなかったが―みな一様に階段やエレベーターへと歩を進める中、波に逆らって歩いた。
 いつの間に、こんなに人がいたのか。
 肩に、足にぶつかる。
 開いた電車の扉。
「―いってしまったの?おじ―ちゃん」

 こういうことは昔からよくあった。簡単に言えば―みえる、形づくらないものたちまでも。
 そういう感じはいつも染み入るようにやってきて、きがつけばああそうだ、あれはそうだったんだと感じさせる。
 彼が誰かと―聞くまでもなく、その匂いを嗅ぎとっていたのに、やっぱり終わってからわかるのだ―
 自分と同じ匂い。
 恐らくは受け継いだ形と言うものが、こうして繋がる橋でも作り上げたのかもしれない。
 臨時改札口を出ると、やはり電車利用者数がいつもより少ないと確認。
 生暖かい夜風が頬をすり抜けて、草原の匂いがする。今出てきた改札を振り返って、闇の中に取り残された灯火を胸に残した。また、電話を掛けてみようか。
 ―8月15日のできごと。


 私はこれを、こう呼ぶ。”消えるシリーズ第二弾!
あああああああああ。やっぱりおもうんですけれど、偏ってるなぁ〜!
前書いた話とほとんど一緒じゃないですか!
消えるシリーズは第3弾まであるんですよ〜。
いつも同じ話ばかりかいてて恥ずかしい…