ガラガラ…
遠くから雷の音が鳴り響いている。同じくらいに稲光が幾度となく落ちていっている。ひときわ高い音が鳴ったところで、亜紀は頭からかぶっていた毛布の中でビクっと反応してしまった。そんな亜紀をあざ笑うかのようにと、最大限まで音を出したTV、申し訳なさそうについているラジオと、部屋の明かりが消えた。
停電だった。彼女は広いリビングの中で、しばらく目をじっとこらえて、耳も両手でふさいでいたが、やがて恐る恐る毛布から顔を出して辺りをうかがった。連日の雨を作り出した雨雲と、亜紀のきらいな稲光を妨げるために引かれたカーテンのせいで、辺りはまっくらだった。
いちど雷が鳴り終えたのをいいことに、毛布を抜け出して、震える手でカーテンをひらいてみた。ぱらぱらとふりつづく雨が、ゴロゴロとなる背景をよそにやけに優しかった。
その目は次に、テレビの横に詰まれたテープの束に目が移る。連休の為に借りだめしておいたビデオだ。
彼女は雷が苦手であった。
亜紀という人物はそっとのことではめげないという評判があったが、例外がこの雷である。そんなめったに遭遇はしないものだし、一人出なければ気などいくらでも紛らわせる事が出来るものだったが、いかんせん今は時期が悪かった。ちょうど両親は実家の盆で帰郷中なのである。
例年は家族全員そろって田舎へ―といったところだが、子供たちも大きくなったら、そんな行事になど付き合っている暇はなくなるものだ。
亜紀は面倒だったので一人家に残ったのだ。一日中ゴロゴロして、気が向いたら絵を描いている予定だった。
ピカ!
ひときわ大きく光った。うわっと、亜紀は次に来る音を防ぐため耳をふさいだ―だが、その時、雷とはちがう物音が玄関の方でした。気が緩んで手を落としたら、とたんに雷が鳴った。その後も、音は鳴り響いている。玄関を誰かが力強くたたいている。
「こんな時間に、こんな天気に来るやつはろくなやつじゃないわ」
そうはおもったが、いつまでたってもその音は沈まない。亜紀は常時玄関近くに立てかけておいてある木のバットを手に持ち、一歩離れてそのかぎを開けた。
ノックの音が止まる。誰かがなにかさけんだが、雷の音にかき消された。一拍おいて、ドアが開いた―いまだ!
開けてきたドアを傷つけないように空いた空間にバットを振り回す―あたれ!
バンと音がした。
バットはあわやなんとあれ―空振りである。
しゃがんだ年子の妹が、引きつった笑いを見せた。
「おねぇちゃん、普通のお客だったら一発ノックダウンだって。」
「…そうね」
亜紀はその顔を認めると―急に心が和むどころか、何故だか気持ちがしゃんとしてしまったのだった。
「―で、何の用で帰ってきたの」
むすっとしながら麦茶を差し出すと、いすにくつろいだ妹、阿史は毛布を足でつついていた。
にやっと、笑う。
「何よ」
「別に〜」
「この麦茶いらないのね」
「ああ〜おねぇさま、今日は素敵なおめかしですこと」
いまさら言っても遅いわ、と、亜紀は自分で飲み干してしまった。すかさず阿史が抗議した。
「馬鹿、悪魔、冷血漢、冷奴、冷麦、冷や素麺、こんぺいとう!」
じたばたする妹に、新しく杯を告ぎながら亜紀が聞いた。
「して、そのこころは?」
「あまさ」
もうととりあえずコップで頭をたたいてやった。阿史がおいしそうに麦茶を飲んでいる間、亜紀は仏壇から新しい蝋燭を持ってきた。
「分かれたの?」
「ううん。奴が里帰りしたいって言うもんだから、2日間だけ置いてきた」
「って、あんたら駆け落ち中なんでしょう?」
「あっちは親公認で、駆け落ちしているのは私だけだもん。」
阿史が舌を見せた。もうその話題には興味がなさげというように、かたわらにあった雑誌をぱらぱらをめくり始める。目を悪くするわよ、と、いってやる。
きっと相手も同じことを考えているに違いない。
亜紀はちょっとだけ信じられないような気持ちで目の前にいる妹を見やった。彼女は亜紀と同じ学年の年子の妹で、活発な目をしている少女だ。ショートカットにそろえた栗色の髪が細い体に良く似合って、体中からエネルギーを発散している様がありありとわかり、友人の和的な存在だ。
片一方の亜紀という存在は、しっかりとした子とをいうのを絵に描いたようなものだ。肩口まできっちりとそろえられた黒髪と、いつものりがいきとどいたハンカチ。特に目立つような事はないが、クラスをまとめ上げるような存在であった。(ちなみに、亜紀は父親似の黒髪で、阿史は母親にである。)
二人は仲がよいのである。家族仲がよいのである。ただ、ちょっと問題があるとすれば、それは―阿史の、活発すぎる性格である。
この妹は、三ヶ月ちょっとまえに男と駆け落ちしたばかりなのである。相手は専門大に入ってすぐ知り合った男で、別に反対も何もないのに、かってに駆け落ちするわ〜といって出て行った奴である。
亜紀はもう一度妹を見やった。妹は今度は満面の笑みで、
「雨、やんだね」
「ほら、お盆だったらお母さんたちいないからね、おネぇちゃんが残ってるだろうと思ってたからさ」
二階に行く時にそういい残していく。「あ、ベットかしてね〜」
まぁ、そんな駆け落ちの手助けをしたのも自分…
気がつけば、雷鳴の音はどこか遠くへと去っていた。
翌朝、日も少々高くなり始めた頃に亜紀は目が覚めた。カーテンからもれる光はすでに高い。きのうの雨も、どこへやらといった風情だ。
昨日隣に寝ていた暖かみも、当に消えうせていて、よれたシーツの皺だけがなんとなくわかる。
そのままぼんやりと一日を過ごす予定だった亜紀は、パジャマのままテレビの前でねっころがることにした。下に降りると微かなにおいが立ち込めていた。が、テーブルの上には何も残されていない。食べた残骸だけが流しにほおって置かれていた。
「いったのかしら…?」
二日はいるといっていたような気がしたが。
それでも関係なくテレビを見入っていると、上からばたばたと騒々しく阿史が降りてきた。
「ちょっとおねぇちゃん!なんか私の部屋の荷物何もかもなくなってるんだけど!」
廊下から顔を出した彼女は、なんとバスタオル一枚だ。
少々考えていった。
「…あぁ…えっと、あんたいないからとおさんが全部どっかにかだづけたのよね。」
「どこ?」
「知るわけないじゃない、あの人の考える事よ」
あっさりといった亜紀に、阿史は面白くなさそうに頬を含ませる。
「え―いや、もう、おねぇちゃんの服借りるからね。一番上等の服着てやる」
はいはい、下着は買ってきてね、と、もらすと、ふと亜紀はあることを思い出した。
「あんた、どうやって部屋に入ったのよ。とおさんがあんたの部屋かぎかけておいたじゃない。まさかそのカッコで外登ったわけ?」
「・・・」
沈黙。ということは・・・・
「わぁーお、だ・い・た・んな事で〜」
「不可攻略はだれにでもあるもんなんだからね!」
しようがないので、あいすべき妹の為に、一肌脱ぎましょうということで亜紀は家の裏口に面したコンビニエンスストアにはいった。
昨日の雨とはうってかわって、曇りが一つもない晴天となった。水たまりさえ乾いている。こんな風に屋内に入っているのは良かったが、ほんの少しの距離を歩いただけで、薄着をしていたのにじっとりと汗がにじんでいた。下着を籠に入れて、お昼飯代わりの飯を入れたところで、ふとアイスクリームが目に入ってきた。
小さい頃からのお気に入りの、スイカバー。
ふと、海の匂いがよみがえる。なんどとなく海でスイカを取り合ったが、アイスクリームの好みが違うので、スイカバーは彼女だけのものである。
もうひとつなじみのアイスクリーム里モナカアイスをともにいれて、会計を済ませる。
…蝉が鳴いている。
「ねぇねぇおねぇちゃん、どうしておねぇちゃんのきらいなホラー映画がまじっているのかな〜?」
「うるさいわね、黙ってみなさいよ。」
のんびりと怠惰に過ごしているのもいいものだ。夕刻近くなって暑さが薄れていってからようやく動き出して、ふたりは亜紀が買いだめしておいたビデオをみることになった。そのなか、世界名作アニメ劇場などに混じったたった一つのホラー映画を、家中を暗くしてみていたのだ。昨日とは変わって今日は阿史が毛布を被っている。そんな彼女を自分のことは棚に上げて、
「あつくるしい」
と亜紀は言い捨てていた。
「まったく、どうしてこんなつまらないものが面白いのかしら。話は三流、つくりは幼稚。しかも怖くなってよる一人で眠れないくせに。」
「おねぇちゃんこそ、どうしてこれが怖くないのよぉ」
ちょうどテレビ画面の中から人が現れてくるという場面になって、きゃっと、阿史は布団にもぐりこんでしまった。なんとなくの隙間から見ているのだが、なんとなくあやしい。
「こういうのは、怖いからこそ楽しいのよ」
阿史はこういう。それが亜紀にはわからなかった。
もともとそういう性質なのかもしれなかったが、小さい頃から亜紀には恐れるということがあまりにもないこどもであって、たのしかったり面白かったりすることさえも表現する能力に乏しかったりした。(唯一ダメなのが雷なのだ)でもそれは、亜紀が思うところ、それは阿史のせいである。彼女はそう断言する。
小さい頃からいっしょにいることが多かった。約一歳離れているのに、亜紀が4月に生まれ阿史が三月に生まれたということから、家でも幼稚園でも学校でもいっしょ。常に傍らにある近しい存在があり、なおかつそれが対等の存在としてではなく、自分の庇護下に置かれる存在であったことがいけなかった。
亜紀は小さなころから、『おなじ』子供にかかわらず、『姉』であるという理由をもってしっかりしろといわれてきたと思う。
だから、隣で妹が怖くて泣き出したりなんかしても、おねぇちゃんなんだから。ないちゃいけない。という風に思い込んだわけだ。
恨みはまったくないというのだが。
そんなわけで彼女は、こぉ〜んなちっぽけな怖い事になんぞ同様もしないようなたくましい存在として育ったわけであった。
「ねぇねぇ、こわいところ、終った?」
もうふからいとしの妹が顔を出す。
おねぇちゃ〜んと猫なで声を出して絡み付いてくるので、ひとまずその頭をたたいてやった。
「じゃ〜ん〜け〜ん、ぽい!」
亜紀がチョキを出して阿史はパー。
「は〜い。そういうわけで、買出し当番は阿史にけってーい!」
「ぬおおおおおおお」
阿史が空にわざとらしくぱーをあげてみせる。
「まておねぇちゃん、今のは『角さん』のおそだしだ。ずるはいけない、もう一度まっとうに勝負いたそう。」
「ほほほ、この紋所が目に入らなくて〜ぇ?」
亜紀がビラっと、買い物リストをかかげた。
「味はしおあじ、やきあじ、いそべあじ」
「海の幸は高いのよ」
二人そろって台所に立つのも、久方ぶりの光景だった。
チュンチュンチュン・・・・
「ン・・・」
あさだ。とおもったが、昨日は夜中までゲームをしたりなどしてはしゃいでいたので、瞼が重くて開かなかった。隣でねむる阿史の規則正しい呼吸が聞こえる・・・うとうと。
と、そのとき。
「亜紀〜かえったわよ〜」
その一言で、亜紀は目を覚ました。やばい。と、いうことで、即効で阿史をたたき起こす。
「阿史!阿史!おきなさい!」
極力音を立てないようにしてちなみに、両ほっぺたをたたいてやった。
「な、何・・・?」
わけわからないという顔をする。
「とおさんとかあさんがかえってきたわよ。早く行きなさい。」
そういって、昔から常に使われている木から彼女をかえした。
「きをつけてね。靴なしでゴメンね」
なんの、といった風情で元気よく降りた阿史が父親が育てている家庭菜園のとうきびの間から手をふった。亜紀はそれを見届けると、下に降りていく。
「おかえり・・・」
「ただいま。何もしていないかと思ったけれど本当に何もしていないわね。」
母親はすでに食器を洗い始めている。後ろ姿から返事が返ってきた。
「とおさんは?」
「いま後のコンビニに行くついでに靴を後ろ玄関においてもらったわ」
「あ・・・きづいてた?」
「わからないもんですか。あんたがあの雷の中一人でもったわけがないからネぇ。ホラーもおいてあるし。」
そんな細かいところまで見ているのだから、かえってきたのはもっと前なのかもしれなかった。時計の針は12時をさしていたし、田舎からかえって来た時に持たされるようなさまざまな小物も何もない。
亜紀が冷蔵庫から麦茶を取り出した時に、父が帰ってきた。
「おお亜紀。麦茶くれるか。」
そういって飲みかけの麦茶と交換に、コンビニの袋を手渡した。中に入っているのは、里モナカ。これは阿史の趣味よ、とおさんまた間違えたのね。抗議はしてみるものの、次買ってくるときも同じ物なのだろう。
「げんきそうでしたか」
「ああ。よく笑っておった。茂みに隠れて門のところにアイスと靴を置いておいたよ。男が丁度迎えに来てたからそいつの顔も見れた。なかなかかっこよかったよ」
「あの子は見る目がありますからね、私に似て。」
母親がそういうと、
「なにをいう。私に似たからこそ、見る目があるんじゃないか」
と、父親が反論した。「わたしです」しばしの間二人はお互いににらみ合っていたが、
「まぁ、それなら両方というわけだ」ということで二人は笑い出した。
「そうだ、ねぇとおさん。阿史の服はどこやったの?」
亜紀が聞くと、母親から答えがかえってきた。
「あんたの足元にあるじゃない」
思わず亜紀は足元をみつめてしまった。普通の床だが、父の趣味は日曜大工。
「・・・」
「今度はどこに隠そうか」
父は熱さになれない緩慢な動作で、縁側に座り込んだ。その傍らに、父が留守の間は決してこない野良猫がすわりだした。
食器を洗う水の音が響き渡る。
今ごろは小さな車にゆられてスイカバーをかじっているだろう。
背を預けて、ふとおもう。
そう、だから―
いつでも、かえっておいで。
そんな生活もまた、家族によくあることだからだ