ずっと寝たきりになりそうで、弟が怖い。暗い部屋の中、重苦しい雰囲気の中で一歩も、寝返りさえもうとうとしない弟を―
僕は無理やり、まったく動こうとしなかった弟を学校に連れて行った。
リビングでいつものように新聞を読んでいるお父さんの背中に、僕は声がかけられなかった。ぼそりと、お父さんがつぶやいた言葉が耳に残る。
その言葉は、僕に届かなかった。そう思い込んだ。
僕の家は世界が変わってしまって―
どんどん洗濯物がたまって。
どうしていいのかわからずに昨日と同じズボンを着込んで学校に行く。
学校につくとそれまでと何かが変わっていた。弟を引きずるように弟のクラスへと連れて行く。
僕のクラスへとたどり着くと、僕自身挨拶する気力もないけど―、誰も僕に声をかけない。あぁ、と思った。そうか、誰かが見ていたんだな。僕が、彼女の紙片を拾うところを。
僕自身もそうだったように、いじめられている対象に対して、何か接触を持ってはいけない。それが、自分がそちら側の対象へと自分をかえてしまうから。
僕は自分の席に腰を下ろした。
まるで、針のような空間にいるようだったが、家にいるよりは幾分居心地がいく感じられた。
確実に変化が形をなしたのは、三時間目のことだった。美術の時間で、外のフィールドワークスケッチは、森のような裏の林の中で行われた。
僕は少し離れたやはり下が見渡せる角になったところで、一人で絵を描き始めた。
絵の半分ほどを描いたところで、少女がこちらへとやってきた。すでに時間を半分も過ぎているのに白紙で、まだどこを描くかも決めていないようだった。
樹木をはさんで、少女が空を見上げている。
その横顔。力強い、朱鷺の目で。
後ろから、ざっつと、大げさに土を踏む音がした。
振り返るまでもなく、あのでかっぱなが率いる三人組。彼女につきまとっているかと思えば、どうやら僕のほうに目をつけたようだった。
少女が、やんわりとこちらを振り返ったのが、気配でわかった。
「よう、お楽しみかい?」
下品な笑い方をする。僕は無意識に、あからさまに侮蔑の瞳を投げていた。
「何打よその目は。おたかくとまってるんじゃねぇ。捨てられ子の癖に」
自分でもわかるほど、僕の目は大きく見開かれた。
「何…だって?」
「とぼけるなよ、おまえのかぁちゃん、」
―男と逃げたんだってな―
でかっぱなの声が、風に乗って下界へととおりすぎていく。
「な、なに…?」
わけがわからない、そんなんじゃない、違う。
「おまえ、『かぁさんは「すてられたんだろう?」捨てたんだ』
何を?お父さん―でかっぱなの声が遠くなる。
今朝、新聞を読むふりをして、僕に背を向けた父が―僕を振り返る。
『かぁさんは、おまえたちを捨てたんだ』
声にならない、悲鳴が、僕の口から発せられた。
木陰から彼女が現れて、でかっぱなのおなかにパンチを入れた。
「やめろ」
僕は、ただひたすら悲鳴をあげていた。
二人の間で、そんないざこざが起こっているとも知らずに。
騒ぎを聞きつけたのか、先生がこちらへとやってきた。
やめなさい、小さく二人の間に立って、僕に目を向けた。
「おい、君の弟が学校で倒れたんだ。すぐ戻りなさい。先生は、この二人を連れて後から行くから」
弟が?
僕は走り出す―無我夢中で。けれど、足がもつれて上手く走れない。
緑のにおいが、鼻の下で鮮烈なにおいを放っている。
僕は地に、倒れた。