その日の夜、草音は泣いた。
雪の夜、どこからともなく流れてくる淋しさを、その胸の中にしまって、泣いた。
風は凪いでいた。
誰も知らない、草音だけの、涙。
朝がやってくるのが早かったのか草音が泣き止むのが遅かったのか。
暁色に染まった空がやってきていた。
しいんと静まり返った朝。何十段もある高い階段を上りきった境内から草音は海の町を見下ろして、涙をすすった。頬の赤みが、寒さでかちこちに凍っていた。
ふとその頬を、温かい手が包んだ。片音である。
「今日も泣き虫、草音」
草音は僅かに微笑んだ。「まっかっかだよ」
「片音は、雪のように白いね、ほぺた。寒い?」
差し出してくれた手袋をはめて、草音も片音がしたように、その両頬を包みこむ。
「これがあったかいから、平気さ」
笑顔。
片音の声は、天上の音楽のように心に響いて、凍てつく空気の中で白くなって宙に還る、一瞬ののも。それがたまらなく綺麗だと静音は言っていた。
その時、階段を静音がかけてきた。手に持っていたのは缶ジュース一本。
「心配したのよ」
怒りながらも、静音がそれを草音に渡した。あたたかい。
「ごめんね、静ちゃん。どうしても、一人になりたかったの」
「何故」
「なにがあったんだ?」
二人が、草音の顔を覗き込む。
「…もう、忘れちゃった」
えへ、と草音は舌を見せた。”このやろう!”と片音が草音を押さえ込む。静音はくすくすと笑っていた。静音の声も、地球を覆う大気のように優しいと、草音は思う。
風は凪いでいた。
寒いのに、あったかい
まるでバリアを張ったみたいに、世界にいるのは今たった三人だけだ。朝を健やかに迎えさせる小鳥の詩も、町を覆っている海の波の音も、今はどこにもない。
この時が好きだ。
そう、本当はとてもとっても大切なことだったのに、
それを忘れてしまうくらい、今が大切。今、だけ。
「さぁて、泣き虫お姫様も元気になったし、ゆっくり還るか!」
「無理はしないのよ、草音」
二人が立った。草音は「ちょっと待って…」と弱々しくいうと、静音にもらった缶ジュースのピンを取った。
湯気が、缶の中から飛び出した。それは、二人の吐く息よりも、もっともっと白かった。それが広がって、あたりは真っ白…霧が立ち込めた。
「片音ちゃん?静音ちゃん?」
手から缶が落ちて、カシャン…となった。
あたりを見回すと、二人がどこにもいない。
霧が深すぎて、何も見えない。階段を踏み外さないように慎重に降りながら、草音は二人の名をずっと呼びつづけた。
「片音ちゃん!静音ちゃん!」
―階段を降りきった時。急に静音は二人を探すのをやめた。
いつのまにか、手が冷えている。
家に、かえろう。
玄関の扉をはさんで、母親が帰りを涙目で待っていた。
頬に、鋭い手のひらが飛んだ。
「…―もう、これ以上あなたまでいなくならないで頂戴……
その場に母親が泣き崩れる。
その横を素通りして、草音は階段を上がっていった。
実はものすごく古い作品…
出していいのかな?とか思いつつ、学校の課題に提出したりとかして、使いまわしてます。うふふ。
昔の―自分が書いたものの中で、やっぱり気に入ってんだよなぁ、とか、いまでもおもいます。